著名人やセレブも愛用するピエール・ジャンヌレの魅力とその投資価値は?

    2023.04.19

    ピエール・ジャンヌレという建築家は、日本ではそれほど知られていないかもしれません。しかし、デザイナーやミュージシャン、セレブリティなどの人気を集めるなど、高い評価を得ています。そして、ジャンヌレは優れた建築家としてもその名を残す人物です。

    今回はピエール・ジャンヌレを取り上げ、その生い立ちや作品、彼の作品の価値について解説していきます。
    (TOP画像引用:Cassina IXC.)

    ピエール・ジャンヌレとは

    ピエール・ジャンヌレという名前は知らなくても、「ル・コルビュジエの従兄弟である」というと、その関係性が理解できる人もいると思います。

    彼は、偉大な建築家であり偉大なデザイナーであったル・コルビュジエと血縁関係にある人物です。ル・コルビュジエとともに事務所を設立し、インドの新都市計画に着手した人物でもあります。

    ル・コルビュジエは、インド・チャンディーガルの新都市計画への参画にあたり、ピエール・ジャンヌレを現地の監督に据えることを条件に参画を決めました。

    スイス生まれの建築家でもあったピエール・ジャンヌレは、インドでの新都市計画に1951年から14年間滞在。1965年に病気を患いこの地を離れるまで、都市空間、建築物、そして家具までを広くデザインする重要な役割を担いました。

    ピエール・ジャンヌレの代表作品

    インドの新都市計画に尽力したピエール・ジャンヌレは、計画の過程で多くの建築家やデザイナーをサポートしました。しかし、彼の功績は「人を育てたこと」だけではありません。彼は優れたデザイナーとして、数多くの作品を残しています。

    PJ-SI-28-A

    ピエール・ジャンヌレ「PJ-SI-28-A」

    ピエール・ジャンヌレ「PJ-SI-28-A」

    引用元: 画像引用元:Sotheby’s

    「PJ-SI-28-A」は、非常にユニークなデザインのイスです。「背もたれ付きのイス」でありながらも、背もたれと座面の間に空洞が設けられています。また、パイプイスのようにパイプでつながっているということもなく、完全に座面と背もたれが切り離されているのです。

    背もたれを支えているのは両サイドから伸びたアームレストで、そのアームレストには逆V字の脚が付いています。この形状が、アームレスト・座面・地面を並行に保つため、イスとしての機能を成り立たせています。

    オフィスチェアとして製作されたPJ-SI-28-Aは、ル・コルビュジエが設計した都市計画におけるエリアで、裁判所や行政庁舎などの公的な機関が集まる「キャピトル・コンプレックス」で使われていました。

    世界的なデザイナー・NIGOさんもアトリエでジャンヌレの家具を愛用しています。

    カンガルーチェア

    ピエール・ジャンヌレ「Kangaroo Chair」

    ピエール・ジャンヌレ「Kangaroo Chair」

    引用元: 画像引用元:Sotheby’s

    イスの前部分にだけ脚があり、後ろ部分は板で支えているという非常にユニークな構造の「カンガルーチェア」は、ピエール・ジャンヌレの作品群でも特に目を引くデザインです。ジャンヌレのファンとして知られる、サカナクションの山口一郎さんも愛用しています。

    シンプルなデザインのように見える一方で、その仕事は非常に丁寧であり、緻密に編み込まれたメッシュひとつとってもこだわりを感じられる逸品です。

    メッシュの座面は非常に通気性がよく、夏場でも快適に過ごすことができます。ひょっとすると、高温多湿な気候のインドでの生活を少しでも快適に過ごしてほしい……というピエール・ジャンヌレの気遣いから生まれた作品なのかもしれません。

    LC/PJ-TAT-14-A

    ピエール・ジャンヌレ「LC/PJ-TAT-14-A」

    ピエール・ジャンヌレ「LC/PJ-TAT-14-A」

    引用元: 画像引用元:Sotheby’s

    ピエール・ジャンヌレは、よくVの字を使ったデザインの家具を開発しましたが、「LC/PJ-TAT-14-A」もまたそのように見える作品です。「Vの字を使ったテーブル」というよりも、「ブーメラン・テーブル」の名で親しまれています。

    ブーメラン型の脚を4つ組み合わせ、さらに直線の部品を渡す構造で長方形の天板を支えるテーブルは、とてもユニークな構造です。ちなみにLC/PJ-TAT-14-Aは、ル・コルビュジエとの協働デザインとしても知られています。

    PJ-DIVERS-01

    ピエール・ジャンヌレ「PJ-DIVERS-01」

    ピエール・ジャンヌレ「PJ-DIVERS-01」

    引用元: 画像引用元:Sotheby’s

    パーテーションは、「部屋を仕切る」「視線を遮る」という役目を持っていますが、ピエール・ジャンヌレの手にかかれば、それも芸術品として昇華されます。

    「PJ-DIVERS-01」は、3枚の両面パネルを組み合わせて作られたパーテーションであり、時に同じ色の布を、時に異なる色の布を互い違いに張り合わせて作られています。
    なお、PJ-DIVERS-01のオリジナルのパネルは、当時のヨーロッパの軍服と同じ生地が使われていたそうです。

    この作品は、もともと大学や行政機関などの公的機関に多く使われていました。

    ピエール・ジャンヌレ作品のオークションにおける価値は?

    ピエール・ジャンヌレは、その人生のなかで、数多くの作品を生み出してきました。とくに「イス」は、彼の個性を存分に反映したものが多いといえます。
    ここではピエール・ジャンヌレの作り出したイスの特徴と、そのイスのうちのいくつかを紹介していきます。

    ピエール・ジャンヌレのイスの特徴

    ピエール・ジャンヌレのイスの多くは、当時都市計画が進んでいたインドのチャンディーガルのために作られたものです。これから先の進展を願う輝かしい都市の礎になるように……という願いを込めて生み出されました。

    このような価値観から生み出されたピエール・ジャンヌレのイスの特徴は、「インド原産の素材を使うこと」にありました。そのため、インドに多く生えている藤やチークなどをハイセンスにまとめ上げて、「地産地消のイス」を作り上げたのです。

    地元の素材とピエール・ジャンヌレのセンスを融合して作られたイスは、都市としての発展を目指すチャンディーガルを表すように、現代的かつモダンで、そしてどこか懐かしさを感じさせます。

    ハイスツール

    ピエール・ジャンヌレ「PJ-SI-21-A」

    ピエール・ジャンヌレ「PJ-SI-21-A」

    引用元: 画像引用元:Sotheby’s

    1960年の中頃に作られていたとされているハイスツールは、藤とチーク材を上手く組み合わせて作られています。

    「ピエール・ジャンヌレの代表作」「ピエール・ジャンヌレらしさが存分に生かされた作品」として名高く、彼を象徴する作品のひとつとされています。
    足元を十字のバーで支えているこのハイスツールは、その多くがチャンディーガルにあるパンジャブ大学で使用されていました。

    海外オークションのサザビーズでの参考価格は約84万5000円で、約133万円(ともに2脚セット)での落札実績もあります。

    PJ-SI-36-A

    ピエール・ジャンヌレはチャンディーガルで過ごす人々のために数多くのイスを制作しましたが、「PJ-SI-36-A」もそのひとつです。

    PJ-SI-36-Aは、1955年に製作されたと言われています。チークの無垢材を使って作り上げられたイスは、特徴的なコンパス型の脚を持ち、現代でも通用するデザイン性の高さから多くの人を引き付けています。

    ザサビーズのオークションでは非常に高額で、2脚セットで約830万円の販売価格で出品されるなど、高値で取引されています。

    ピエール・ジャンヌレ作品のうち最高級クラスのもの

    ピエール・ジャンヌレは数多くの作品を手掛けていて、それぞれが非常に大きな価値を持っています。現在も数多くのオークションで彼の作品が出品されております。

    そのため「この作品が最高級」と断言することは難しいのですが、今回は「PIGEONHOLE DESK」をピックアップしてご紹介します。

    PIGEONHOLE DESK

    「PIGEONHOLE DESK」は、ピエール・ジャンヌレが力をつくしたインドでの都市計画で生まれた作品です。この作品も「PJ-SI-28-A」同様にチャンディーガルのキャピタルコンプレックスで採用され、主に高等裁判所や立法議会などで使われていました。

    非常にユニークなポイントは、前面に1つの引き出しと小さな棚がつけられているのに対して、背面に6つの収納棚が作りつけられていることでしょう。本来ならば、デスクにあまり設けられることのない「背面の収納棚」が充実しています。

    美しくもユニークなデザインが高く評価された、PIGEONHOLE DESK。サザビーズでは約500万円で落札された実績があります。

    まとめ

    著名な建築家でデザイナーのル・コルビュジエの従兄弟であったピエール・ジャンヌレですが、彼自身も優れた建築家でデザイナーでした。彼の人生の後半は、彼の生まれ故郷であったスイスからはるかに離れたインドとともにあったと言っても過言ではありません。

    彼とル・コルビュジエが進める都市計画のプロセスでは、数多くの名作と言われる家具が生み出されました。そんな彼の作品は、彼の死から半世紀以上が経った現在においても、世界中の人を魅了し続けています。
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